普門軒の禅のミカタ

なぜ禅は世界から注目されているのか【月・金の朝更新】

信心銘の話〈その8〉

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根本にたちもどると秘密が手に入るが、映されたものを追うならば大本を見失う。ほんのしばらくでも、こちらの方が映されたものを押し返させば、眼前の空虚な世界の上にでてしまう。眼前の空虚な世界がくるくる変わるのは、すべて迷いのせいだ。
心理を探すには及ばない。ただ君の考えをストップさせればよろしい。相対の考えに腰を据えてはならぬ。ゆめゆめそんなものを追い求めてるではないぞ。よしあしが現れたとたん、入り乱れて本心を見失うのだ。

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信心銘の話〈その7〉

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一つのところに達しなければ、両方とも失敗だ。 有るものを払いのけると何にもなくなってしまい、空についてゆけば空を見失う。 説明が多く分別が多いほど、いよいよ事実にぴったりしない。 言葉を断ち分別を尽くせば、どこも普遍妥当せざるはない。

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坐禅と法話を聞きに来てくださいました

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今日は以前も来てくださった方々ですが、8人ほど坐禅と法話を聞きにまた普門軒に来てくださいました。日頃は誰も来ない普門軒ですが、秋の本当に心地の良い時間に、みなさんがお寺にお越しになり、とてもいい時間を過ごせました。

心を砂地にしてしまう力

コンクリートから砂地へ

私の師匠の修業時代、師匠の師匠がこんなことをおっしゃっていたそうです。

コンクリートにいくら水をかけても、染みこまん。でも砂地にかければ水はいくらでも染みこむ。

私はこの言葉が好きで、事あるごとにこのことを思い返します。法要や法事の後に法話をさせていただくのですが、なかなかみなさんの心に残るお話ができません。

今日来てくださった方々は、坐禅をして、和尚さんのお話を聞きたいという方々がお越しになっています。いわば今日の方々の心はすでに砂地の状態です。その上、坐禅をしてからの法話ですから、さらさらの砂地です。私がお話しする法話の意図や、本意をくんでくださったように感じました。法話の後、お茶を飲みながらのお話も、みなさん質問をしてくださって、とてもいい時間を過ごさせていただきました。

私はまだまだ力の無い和尚で、コンクリートを砂地にはなかなかできません。師匠方のように力のある和尚は、コンクリートの心を砂地の心にし、そして染みこませてしまうお話をなさるのだろうといつも思うのです。

信心銘の話〈前説〉

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これからしばらくの間、〈三祖僧璨鑑智禅師(そうさんかんちぜんじ)〉の書かれた『信心銘(しんじんめい)』についてお話しいたします。〈初祖菩提達磨大師(だるまだいし)〉、2代目が〈二祖慧可大祖禅師(えかだいそぜんじ)〉、そして3代目が〈三祖僧璨鑑智禅師〉となります。

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