普門軒の「禅の学校」

普門軒のブログ:毎週月・金に授業更新

体育/家庭

習慣と言うこと

禅のいう「穏やか」とは最小限で満足できることです。では穏やかな生き方を得るための習慣とは、ズバリ余計なことはしないことです。あれやこれやと余計なことを比べたり、調べたり、考えたりしない。目の前のことに没頭するのです。文字通り、頭を没すると…

穏やかに暮らすための9つの禅の習慣

禅のいう「穏やか」とは最小限で満足できることです。では穏やかな生き方を得るための習慣とは、ズバリ余計なことはしないことです。あれやこれやと余計なことを比べたり、調べたり、考えたりしない。目の前のことに没頭するのです。文字通り、頭を没すると…

禅の暮らし

宗教は一般的に人々の救済をその教えのテーマにしている場合が多いです。キリスト教やユダヤ教、イスラム教にしても、その教えの中心には人々の救済が説かれています。日本の神道の教え同様の面をみることができます。しかし仏教というと・・・。

禅の修行は差を取る修行

ちまたには「自分を変える方法」とか「自分を変えたいためには」などの文言をよくみかけるようになって、久しいものです。禅もその一つの方法と見られておりますが、実は禅は違うのです。

単純とは高めた先にあるもの

令和二年の年明けに、誰が現在の世の中を予想されていたでしょうか。このコロナ禍の折、世の中はこれまでと違った動きが見え始めております。お寺も例外ではありません。

人間は思考して、行動し、また行動して、思考する。生きるとはその繰り返し

「生きる」とは、命を保ち、活動していることです。「息する内」というお話もいたしました。私たちは命を授けられている以上、その命を保ち、活動して行かなくてはなりません。ではその活動内容とはなんでしょうか。それは「思考」と「行動」だと言えます。 …

お坊さんは何で丸坊主なの?

貪・瞋・癡(とん・じん・ち)とは、仏教において克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩を指し、人間の諸悪、苦しみ、悩みの根元です。三毒ともいいます。

作為的な計らいを止めよ

余計(餘計) 余分と余計の違いをご存じですか。「余」という字は、旧字体で「餘」と書き、食べ物の意の食と、のびるという意の余からなり、「食べ余し」というのがその語原です。

「もったいない」について思うこと

以前に「もったいない」について調べ、考えたことがあります。私の至った結論から言うと「もったいない」という言葉は、「諸行無常」という仏教用語を日本の言葉で訳した言葉ではないかと考えます。

あるものを食べることが禅の食事の基本

禅の食生活の基本は「あるものを食べる」ということでしょうか。季節の物を食べるというのはもちろんですが、いただいたものを食べるというのも大切なことですね。

坐禅をしてみたい

意味や目的を明確に考えず、食事を取るように普段の生活の習慣としてすることが続けることがいいと思います。数年後、何となく坐禅をしていること(実践していること)が心地いいなと思えればよいのです。

心は万境に随って転じ、転処実に能く幽なり

「したがう」。現代社会では敬遠されがちな言葉ですね。「したがう」という言葉を聞けば、一般的「従う」という言葉が浮かぶのではないでしょうか。

言われたことをすぐにやる、いいわけはしない

修行でも仕事でも「やらされる」と思っている間を、やる気が無いといいますね。気が無い状態から脱する方法として、禅の修行では「言われたことをすぐにやる」「いいわけはしない」を徹底します。