普門軒の禅のミカタ

なぜ禅は世界から注目されているのか【月・金の朝更新】

禅の教え

お経の話4 お経の解釈の結果

仏典の種類には大きく『経』『律』『論』の三種類ございます。『経(きょう)』はお釈迦様の教えをまとめたもの。『律(りつ)』は仏教徒としての行動規範をまとめたもの。『論(ろん)』は経や律を研究して注釈をまとめたもの・・・。

お経の話3 『律』『論』について

仏典の種類には大きく『経』『律』『論』の三種類ございます。『経(きょう)』はお釈迦様の教えをまとめたもの。『律(りつ)』は仏教徒としての行動規範をまとめたもの。『論(ろん)』は経や律を研究して注釈をまとめたもの・・・。

お経の話2 『経』について

経典の種類には大きく『経』『律』『論』の三種類ございます。『経(きょう)』はお釈迦様の教えをまとめたもの。『律(りつ)』は仏教徒としての行動規範をまとめたもの。『論(ろん)』は経や律を研究して注釈をまとめたもの・・・。

お経の話1 お経はお釈迦様にまつわるお話の全集

「お経」という言葉には、敬意あらわす「お」がつきますからもちろん日本語です。中国語では「お」をとって、「経」といいます。これは古代インドの言語サンスクリット語の「スートラ」を漢訳した言葉です・・・。

信心銘の話〈その20〉

心がピタリと一つになって、作為はすべて尽きはてている。ためらいは完全に底を払って、純なる精神が調和を保つ。すべて何も残らず、思い起こすことはない。形のない光明がちゃんとものを映し出して、こちらの意識を働かせるまでもないのである。思慮分別を…

自覚を求められる宗教

宗教は一般的に人々の救済をその教えのテーマにしている場合が多いです。キリスト教やユダヤ教、イスラム教にしても、その教えの中心には人々の救済が説かれています。日本の神道の教え同様の面をみることができます。しかし仏教というと・・・。

般若心経 現代語訳その2

般若心経の現代語訳の第2弾が出来ました。この第2弾はかなり大胆な訳になりました。でもとても自信をもったものになりました。一度、読んでみてください。

信心銘の話〈その18〉

その自然には、その根拠が消えてしまっていて、何も比べることができない。動きを停めようにも動きがなく、静止を動かそうにも静止がない。2つの立場が成り立たない以上は、1つの立場がどうして成り立とうか。とことんまでつきつめられて、そこには手本と…

信心銘の話〈その17〉

眼が覚めている時は、どんな夢も見ることはない。自分の心が変化しなければ、様々な存在はさながらに一つである。さながらに一つであるその本体は不可思議で、ごろんとしていて手がかりがない。そこでは、様々の存在が同じに見られて、自然の状態に帰るのだ。

信心銘の話〈その16〉

眼が覚めている時は、どんな夢も見ることはない。自分の心が変化しなければ、様々な存在はさながらに一つである。さながらに一つであるその本体は不可思議で、ごろんとしていて手がかりがない。そこでは、様々の存在が同じに見られて、自然の状態に帰るのだ。

般若心経 現代語訳その1

約2ヶ月ブログを休んでおりました。2番目の子供が生まれ、ガタガタしており、なかなか集中できず、申し訳ありませんでした。今回、ブログ再開として、毎日読んでいる般若心経を現代語にしてみました。今回はその第1弾です。何度か改変していこうと思って…

信心銘の話〈その12〉

本性のままで大道と一致し、ゆらりゆらりとのんびり歩いて何の悩みもなくなる。心を一つの対象にくくりつけると真理にはぐれ、心が沈みこんで自由を得ぬ。自由を得ぬから精神をすり減らすのである。どうして道に遠ざかったり、近づいたりする必要があろうか…

信心銘の話〈その11〉

大道はそれ自体が広々としていて、歩きやすいとか歩きにくいとか言うことがない。考えの小さい人は小さいことを心配して、道を急げば急ぐほど、いよいよ道が遠くなる。物にとらわれると尺度を失い、きっと間違った道に入り込むものだ。手を離せば、元々自然…

信心銘の話〈その10〉

主観は客体が消えるとともに消え、客体は主幹が亡くなるのに伴ってなくなる。客体は主観に対して客体であり、主観は客体に対して主観である。両者の区別を知りたければ、もともと同一の空だと知れ。同一の空がそのまま二つの部分と変わらず、あまねく無数の…

信心銘の話〈その9〉

相対は、絶対から出てくるものだ。絶対をも固執してはならない。心が起きさえしなければ、どんな存在にも罪はない。罪がなければ存在はないし、起きなければ心にはならぬ。

信心銘の話〈その8〉

根本にたちもどると秘密が手に入るが、映されたものを追うならば大本を見失う。ほんのしばらくでも、こちらの方が映されたものを押し返させば、眼前の空虚な世界の上にでてしまう。眼前の空虚な世界がくるくる変わるのは、すべて迷いのせいだ。心理を探すに…

信心銘の話〈その7〉

一つのところに達しなければ、両方とも失敗だ。 有るものを払いのけると何にもなくなってしまい、空についてゆけば空を見失う。 説明が多く分別が多いほど、いよいよ事実にぴったりしない。 言葉を断ち分別を尽くせば、どこも普遍妥当せざるはない。

信心銘の話〈その6〉

一つのものとして心が落ち着くと、あとかたもなく自然に何もなくなってしまう。心が騒ぐといって静止させることになれば、静止させるほどますます心は騒ぐ。動と静の両端にかかわりあうだけのことであり、どうして一つのところがわかろうか。

信心銘の話〈その5〉

対象的なものを追っかけてはならず、空という考えにとどまってもいけない。

信心銘の話〈その4〉

道は大空のようにまどかで、足らぬところも残るところもないのだ。より好みするからこそ、不自然なことになるのである。

信心銘の話〈その3〉

つくの離れるのという心こそ、人を疲れさせる病気にほかならぬ。道の秘密を見分けぬならば、心を静めようとしても無駄だ。

信心銘の話〈その2〉

好き嫌いさえしなければ、すっぱりとすべて透明だ。毛の先ほどのずれができると、天地ほどもかけはなれるのだ。目のあたりに見たいのなら、それについて行くという気持ちがあってはならぬ。

お釈迦さまは何をのお悟りになったの?(1)十二縁起

生まれる前の私たち、生まれてきた私たち、生まれたからの私たち、そして次の私たちについてお釈迦様が説かれた教えが〈十二縁起〉です。

両手で手を打つと音がする。片手だとどんな音がする?

臨済宗の禅は、〈看話禅(かんなぜん)〉と言われており、禅宗における坐禅修行の一つです。看話禅は〈公案(こうあん)〉と言われるいわゆる禅問答を重視し、公案を研究し理解することで〈大悟(悟り)〉に至ろうとする禅のことです。

ダルマさんの四つの思想(4)不立文字(ふりゅうもんじ)

禅の目的は、仏としての本質・能力を自覚して、本来の自分に戻れ。その方法は、あれこれ考えず自分の心にそのまま向かえばいい。

ダルマさんの四つの思想(3)教外別伝(きょうげべつでん)

自分の心にそのまま向かえ。方法論は分かった。その時に注意すべき事はないか。その注意事項が〈教外別伝(きょうげべつでん)〉です。

ダルマさんの四つの思想(2)直指人心(じきしにんしん)

〈見性成仏〉は禅の目標だとお話ししました。禅の向かわんとするところです。それでは、どう戻ればいいのか、その方法というのが〈直指人心(じきしにんしん)〉です。

ダルマさんの四つの思想(1)見性成仏(けんしょうじょうぶつ)

四聖句の最後〈見性成仏(けんしょうじょうぶつ)〉は禅の目標にあたり、もっとも重要な句です〈仏〉とは目覚めた人、真理を悟った人という意味です。

ダルマさんが教えてくれた本来の自分に戻る四つの思想

禅を開かれた〈菩提達磨大師(ぼだいだるまたいし)〉が唱えられた4つの根本的思想があります。それが〈不立文字〉〈教化別伝〉〈直指人心〉〈見性成仏〉です。

ディヤーナから禅へ、そして禅宗へ、さらにZENへ

「禅」の源流をたどると古代インドにさかのぼります。行動と心を調え、煩悩を断ち、悟りを開く修行が行われてきたのです。この方法を「ディヤーナ」(瞑想)と言いました。