普門軒の禅のミカタ

なぜ禅は世界から注目されているのか【月・金の朝更新】

禅の教え

信心銘の話〈その10〉

主観は客体が消えるとともに消え、客体は主幹が亡くなるのに伴ってなくなる。客体は主観に対して客体であり、主観は客体に対して主観である。両者の区別を知りたければ、もともと同一の空だと知れ。同一の空がそのまま二つの部分と変わらず、あまねく無数の…

信心銘の話〈その9〉

相対は、絶対から出てくるものだ。絶対をも固執してはならない。心が起きさえしなければ、どんな存在にも罪はない。罪がなければ存在はないし、起きなければ心にはならぬ。

信心銘の話〈その8〉

根本にたちもどると秘密が手に入るが、映されたものを追うならば大本を見失う。ほんのしばらくでも、こちらの方が映されたものを押し返させば、眼前の空虚な世界の上にでてしまう。眼前の空虚な世界がくるくる変わるのは、すべて迷いのせいだ。心理を探すに…

信心銘の話〈その7〉

一つのところに達しなければ、両方とも失敗だ。 有るものを払いのけると何にもなくなってしまい、空についてゆけば空を見失う。 説明が多く分別が多いほど、いよいよ事実にぴったりしない。 言葉を断ち分別を尽くせば、どこも普遍妥当せざるはない。

信心銘の話〈その6〉

一つのものとして心が落ち着くと、あとかたもなく自然に何もなくなってしまう。心が騒ぐといって静止させることになれば、静止させるほどますます心は騒ぐ。動と静の両端にかかわりあうだけのことであり、どうして一つのところがわかろうか。

信心銘の話〈その5〉

対象的なものを追っかけてはならず、空という考えにとどまってもいけない。

信心銘の話〈その4〉

道は大空のようにまどかで、足らぬところも残るところもないのだ。より好みするからこそ、不自然なことになるのである。

信心銘の話〈その3〉

つくの離れるのという心こそ、人を疲れさせる病気にほかならぬ。道の秘密を見分けぬならば、心を静めようとしても無駄だ。

信心銘の話〈その2〉

好き嫌いさえしなければ、すっぱりとすべて透明だ。毛の先ほどのずれができると、天地ほどもかけはなれるのだ。目のあたりに見たいのなら、それについて行くという気持ちがあってはならぬ。

信心銘の話〈その1〉

本当の道は、難しいことがない。取捨選択さえしなければよいのだ。

信心銘の話〈前説〉

今日からしばらくの間、三祖(そうさんかんちぜんじ)の書かれた「信心銘(しんじんめい)」についてお話しいたします。〈初祖菩提達磨大師〉、2代目が〈二祖慧可大祖禅師〉、そして3代目が〈三祖僧璨鑑智禅師〉となります。

お釈迦さまは何をのお悟りになったの?(1)十二縁起

生まれる前の私たち、生まれてきた私たち、生まれたからの私たち、そして次の私たちについてお釈迦様が説かれた教えが〈十二縁起〉です。

両手で手を打つと音がする。片手だとどんな音がする?

臨済宗の禅は、〈看話禅(かんなぜん)〉と言われており、禅宗における坐禅修行の一つです。看話禅は〈公案(こうあん)〉と言われるいわゆる禅問答を重視し、公案を研究し理解することで〈大悟(悟り)〉に至ろうとする禅のことです。

ダルマさんの四つの思想(4)不立文字(ふりゅうもんじ)

禅の目的は、仏としての本質・能力を自覚して、本来の自分に戻れ。その方法は、あれこれ考えず自分の心にそのまま向かえばいい。

ダルマさんの四つの思想(3)教外別伝(きょうげべつでん)

自分の心にそのまま向かえ。方法論は分かった。その時に注意すべき事はないか。その注意事項が〈教外別伝(きょうげべつでん)〉です。

ダルマさんの四つの思想(2)直指人心(じきしにんしん)

〈見性成仏〉は禅の目標だとお話ししました。禅の向かわんとするところです。それでは、どう戻ればいいのか、その方法というのが〈直指人心(じきしにんしん)〉です。

ダルマさんの四つの思想(1)見性成仏(けんしょうじょうぶつ)

四聖句の最後〈見性成仏(けんしょうじょうぶつ)〉は禅の目標にあたり、もっとも重要な句です〈仏〉とは目覚めた人、真理を悟った人という意味です。

ダルマさんが教えてくれた本来の自分に戻る四つの思想

禅を開かれた〈菩提達磨大師(ぼだいだるまたいし)〉が唱えられた4つの根本的思想があります。それが〈不立文字〉〈教化別伝〉〈直指人心〉〈見性成仏〉です。

ディヤーナから禅へ、そして禅宗へ、さらにZENへ

「禅」の源流をたどると古代インドにさかのぼります。行動と心を調え、煩悩を断ち、悟りを開く修行が行われてきたのです。この方法を「ディヤーナ」(瞑想)と言いました。