普門軒のブログ 禅という見方

禅と真摯に向き合えば、あなたの生き方が必ず変わる

禅の見方

「もったいない」について思うこと

以前に「もったいない」について調べ、考えたことがあります。私の至った結論から言うと「もったいない」という言葉は、「諸行無常」という仏教用語を日本の言葉で訳した言葉ではないかと考えます。

一所懸命生き、一所懸命死にたい

寿命という言葉があります。仏教では寿も命も「いのち」の意味です。寿は時間を表し、命は身体を維持するはたらきを指します。

新しいということはそんなにいいことなのでしょうか(2)

現代人は日々、新しいもの、新しい方法、新しい状態を求め、またその創出に腐心しています。言い換えれば、現代人の人生は常に新しいものごとで覆い尽くされています。

終戦を軸にした世代の変化を、よーく考えてみたい

今朝はフランス人のジャーナリストと日本の高齢者についてお話ししました。そのときの茶礼のメモです。

新しいと言うことはそんなにいいことなのでしょうか。

「新しきことを聞く」と思ったのでしょうか。明治の人はNEWSを「新聞」と訳しました。新しいことを聞く。

このブログのタイトルにつけた”禅の見方”という言葉への思い

コンピュータは基本ソフト(OS)がないと動きません。そのOSによって入出力機能、ファイル管理、メモリー管理、ネットワーク機能などが決まります。

死とは無くなったのではなく、亡くなるのです。

人の死を「亡くなる」と言いますね。上に形「亠」(ナベブタ)は「人」を意味します。そして下の「L」はものかげを意味するのです。

言葉の語源をご存じですか。ことがらの端っこ?

日本人にとって言葉とは・・・。「言葉」という言葉は日本語です。中国語で「言葉」とは「語言」とか「詞」などと言います。

無、無、無っていうけどよくわからないなー。

禅宗のお坊さんは、すぐに無、無、無ーっていいいますが、無我についていろいろ書いてみたいと思います。イスは座るための家具ですね。

ミーン、ミーン。ひたすらに、一心に、赴くままに

「禅」。示偏に「単」と書きます。「示す」とは何が示されているのでしょうか。示偏は元来、祭事に関わる字に用いる偏です。つまり「示す」とは神々や仏の心が示されているという意味なのです。

心は万境に随って転じ、転処実に能く幽なり

「したがう」。現代社会では敬遠されがちな言葉ですね。「したがう」という言葉を聞けば、一般的「従う」という言葉が浮かぶのではないでしょうか。

実は怖ろしい?教えるってこと。鞭を手にして・・・

江戸時代以前には、仏教という言葉はなく仏道または仏法と呼んでいました。もともと「教え」という言葉を用いていませんでした。

わかった、わかったって、本当にわかったの?

多くの場合、私たちは「わかる」という意味を、頭で理解したり、自分の言葉に言い直したり、説明できることを「わかる」ととらえております。

世界はひとつ? 世界とひとつ?

「絆」の元来の意味は家畜や動物をつなぎ止める紐のことです。それが室町時代頃から、現代私たちが使っている絆という意味になったそうです。