普門軒の禅のミカタ

なぜ禅は世界から注目されているのか【月・金の朝更新】

禅の見方

禅の修行は差を取る修行

ちまたには「自分を変える方法」とか「自分を変えたいためには」などの文言をよくみかけるようになって、久しいものです。禅もその一つの方法と見られておりますが、実は禅は違うのです。

目に見えるものごともそのまま受け入れる

私たち現代人の多くは、この世の中は、最終的には「目に見える」ものごとでできあがっており、目に見えるからこそ、目に見える形として認識し、説明し、証明し、理解できるとしている、そして同時に、今は目に見える形で認識できなくても、いずれ、将来、ち…

単純とは高めた先にあるもの

令和二年の年明けに、誰が現在の世の中を予想されていたでしょうか。このコロナ禍の折、世の中はこれまでと違った動きが見え始めております。お寺も例外ではありません。

人間は思考して、行動し、また行動して、思考する。生きるとはその繰り返し

「生きる」とは、命を保ち、活動していることです。「息する内」というお話もいたしました。私たちは命を授けられている以上、その命を保ち、活動して行かなくてはなりません。ではその活動内容とはなんでしょうか。それは「思考」と「行動」だと言えます。 …

Natural I と Personal I

今、ロンドンの知人の方たちとzoomを使って坐禅会を開いています。4月に彼からzoomで坐禅会が出来ないかという提案があったんです。私はそれまでzoomというアプリケーションすら知りませんでした。

決まり正しい生活にするにはどうしてたらいいの?

和尚さん、決まり正しい生活にするにはどうしてたらいいでしょうとよく聞かれます。私はそのとき寝る時間を決めるといいですよとアドバイスをします。それはちょうど死に様について考えるようなものです。

暮らしの舞台、暮らしの鏡。それが建物

鎌倉時代に禅僧は、禅という新しい宗教の教えとともに、書道、山水画、茶道、武道、食など、禅の教えや世界観を表現したいろいろな文化ももたらしました。その中に寺院建築と庭園があります。

般若心経の口語訳を作ってみたいと思ったきっかけ

私はこれまで、お経は、内容よりも、それを一身に大きな声で読むことが、まずは大切だと思って参りました。しかし、ふとしたきっかけで、いろいろな方々が般若心経の現代語訳、口語訳をなされておるものを読み、本当に頭の下がる思いと、大きなショックを受…

信心銘の話〈その15〉

心を見失うから寂と乱の対立を生み出すが、気づけば何の良し悪しもない。およそ対立なるものは、わけもなくこちらが物をはかるからである。夢と幻想と空虚な華を、どうしてわざわざ掴もうとするのか。手に入れるとか失うとか、正しいとか正しくないとかいう…

信心銘の話〈その14〉

六官の対象に逆らわなければ、元々ブッダの悟りと変わりないのだ。智者はことさら何もしない、愚者は自分の縄で自分を縛っている。存在はおよそ変わったものなぞないのに、人は訳もなくっつきたがる。自分の心で自分を使うことは、とんでもない間違いではな…

信心銘の話〈その13〉

本性のままで大道と一致し、ゆらりゆらりとのんびり歩いて何の悩みもなくなる。心を一つの対象にくくりつけると真理にはぐれ、心が沈みこんで自由を得ぬ。自由を得ぬから精神をすり減らすのである。どうして道に遠ざかったり、近づいたりする必要があろうか…

ホーホケキョ

今日、鶯の鳴き声を聞きました。今年の初鳴きです。 世の中は武漢ウィルスでゴタゴタしております。みなさん体調の方はいかがですか。てれびやいんたーねっとでは、連日に渡り、今日は何人感染したとか、あの国の状況はどうだとか、そんな情報が飛び交ってお…

信じると言うこと

「私は宗教なんて信じていない」という人が(残念ながらたくさん)いると思います。でもそんな人たちも、自分では意識していないかもしれませんが、信じているものはあるはずです。

日本人として生きたい

私がこの道に進んだ目的は「日本人として生きたい」ということでありました。私は昭和47年の生まれですから、いわゆる戦後教育を受けてしまった世代です。

生きる、亡くなる

漢字の「命」の音読みは「メイ」ですが、ひざまづいている人に言いつける「令」に「口」をつけることで、言いつける意味をより明らかにしたというのが、もともと意味だということです。

思想を持て

あけましておめでとうございます。今年の初めのブログです。何かを書こうと思ってたのですが、私の人生もすでに半分を折り返している身です。はやりこの世の中のためのことを書くべきと思います。

存在には本質があり、能力があり、働きがある

私には尊敬する道場の先輩がいます。その方が住職をしておられるお寺には禅堂といって坐禅のためのお堂があります。実はそのお堂は松下幸之助氏によって建てられた禅堂です。

教える、諭す、親しませる

先生のことを教諭といいます。最近あまり聞かれなくなった言葉に、「諭す(さとす)」という言葉があります。読めない人もいるのではないか。代わって「教える」という言葉は頻繁に使われています。

「もったいない」について思うこと

以前に「もったいない」について調べ、考えたことがあります。私の至った結論から言うと「もったいない」という言葉は、「諸行無常」という仏教用語を日本の言葉で訳した言葉ではないかと考えます。

一所懸命生き、一所懸命死にたい

寿命という言葉があります。仏教では寿も命も「いのち」の意味です。寿は時間を表し、命は身体を維持するはたらきを指します。

終戦を軸にした世代の変化を、よーく考えてみたい

今朝はフランス人のジャーナリストと日本の高齢者についてお話ししました。そのときの茶礼のメモです。

新しいと言うことはそんなにいいことなのでしょうか。

「新しきことを聞く」と思ったのでしょうか。明治の人はNEWSを「新聞」と訳しました。新しいことを聞く。

このブログのタイトルにつけた”禅の見方”という言葉への思い

コンピュータは基本ソフト(OS)がないと動きません。そのOSによって入出力機能、ファイル管理、メモリー管理、ネットワーク機能などが決まります。

死とは無くなったのではなく、亡くなるのです。

人の死を「亡くなる」と言いますね。上に形「亠」(ナベブタ)は「人」を意味します。そして下の「L」はものかげを意味するのです。

言葉の語源をご存じですか。ことがらの端っこ?

日本人にとって言葉とは・・・。「言葉」という言葉は日本語です。中国語で「言葉」とは「語言」とか「詞」などと言います。

無、無、無っていうけどよくわからないなー。

禅宗のお坊さんは、すぐに無、無、無ーっていいいますが、無我についていろいろ書いてみたいと思います。イスは座るための家具ですね。

ミーン、ミーン。ひたすらに、一心に、赴くままに

「禅」。示偏に「単」と書きます。「示す」とは何が示されているのでしょうか。示偏は元来、祭事に関わる字に用いる偏です。つまり「示す」とは神々や仏の心が示されているという意味なのです。

心は万境に随って転じ、転処実に能く幽なり

「したがう」。現代社会では敬遠されがちな言葉ですね。「したがう」という言葉を聞けば、一般的「従う」という言葉が浮かぶのではないでしょうか。

実は怖ろしい?教えるってこと。鞭を手にして・・・

江戸時代以前には、仏教という言葉はなく仏道または仏法と呼んでいました。もともと「教え」という言葉を用いていませんでした。

わかった、わかったって、本当にわかったの?

多くの場合、私たちは「わかる」という意味を、頭で理解したり、自分の言葉に言い直したり、説明できることを「わかる」ととらえております。