普門軒の禅のミカタ

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ディヤーナから禅へ、そして禅宗へ、さらにZENへ

f:id:fumonken:20190822194544j:plain「禅」の源流をたどると古代インドにさかのぼります。行動と心を調え、煩悩を断ち、悟りを開く修行が行われてきたのです。この方法を「ディヤーナ」(瞑想)と言いました。

禅はどこからきたのか


 今から約二五〇〇年前、お釈迦様もまた「ディヤーナ」をして、悟りに到達されたのです。   この「ディヤーナ」が支那にも伝わり、その音写が〈禅那〉であり、〈禅〉はその略です。

その禅を中心にした仏道修行をする集団は、唐代末期には〈禅宗〉と呼ばれるようになり、仏道の一宗派となっていきました。 この禅宗は鎌倉時代初頭に日本に伝わりさらに発展していくのです。 そして禅宗は近代に入り、日本から世界へ再び「ZEN」として広がっていきます。

1. お釈迦さまはディヤーナで何を悟られたのか

平穏な境地のための二つの教え

お釈迦さまは苦しみの人生〈輪廻〉から解脱して、平穏〈悟り〉な境地を得たいと願い、修行の道を歩みました。しかし、なかなかそのような境地に達しませんでした。やがて極端な偏りは平穏も生み出さないことに気づき苦行を捨て、静かな菩提樹の下で坐禅を組んで、深いディヤーナに入ります。​坐禅の最中に、何度も何度も迷いが幻覚となってお釈迦さまを誘惑しますが、それらを突き抜け、お悟りに達したのです。そして仏陀となりました。

​お釈迦さまは、私たちはものごとに対して正しく捉えていないから、欲や執着が生まれ、その結果苦しみが生じること〈十二縁起〉を悟られました。そのためには対立や矛盾しあう両極端の立場を離れ、中正な立場〈中道〉で、ものごとを捉えなくてはいけないと悟られたのです。 ​ この〈中道〉の教えは、やがて〈空〉の思想に発展します。この〈空〉の思想が、禅の思想の根本思想の一つして発展していくのです。

2. ディヤーナと「道」の出会い

瞑想は支那で「道」と出会う

お釈迦さまの教えは多くのインドの僧侶たちによって支那に伝えられ、同時にその修行方法で在るディヤーナ(瞑想)も伝えられました。それまで東洋には瞑想という修行の形、習慣はありませんでしたので、非常に画期的な事だったのです。ディヤーナの音写として〈禅邦〉という言葉が生まれます。

またその当時、支那にはすでに立派な精神思想がありました。そのひとつが老荘思想です。この老荘思想の根本にあるものが「道」です。 ​ 「ディヤーナ」は支那で「道」という思想と出会い、〈禅〉としてその世界観を発展させていきました。

3. 禅から禅宗へ

達磨大師によって実践的な四つの思想へと発展する

中でもお釈迦さまから28代目の〈菩提達磨大師(ぼだいだるまたいし)〉の説く〈禅〉は、それ以前に伝えられた〈禅〉が理論的、教条的であったのに対して、異質のものでした。

達磨大師は本来の清浄な自性に目覚め、成仏せよと説きます。達磨大師のひたすら実践、実行を説く教えは説得力を持っていました。また達磨大師の説いた四つの思想「不立文字」「教化別伝」「直指人心」「見性成仏」は〈禅〉を単なる修行法にとどまらせず、〈禅宗〉として仏教のひとつの教団として発展していくのです。

4. 禅宗から禅文化、そしてZENへ

達磨大師によって実践的な仏の教えと発展する

支那で発展した〈禅宗〉はその後、日本にも伝わります。平安末期から鎌倉初期のことです。多くの日本の僧侶が支那にわたり、また支那の禅僧も日本に来て、〈禅宗〉は「日本禅」として新たな発展を遂げるのです。

支那では革命が起こるたびに、〈禅宗〉に限らず、時の政権により保護が受けられなくなったりするなど、法統は陰り、その存在感は弱くなっていきました。

幸いに日本は天皇を中心に革命の起きない国体であったこともあり、〈禅〉の法統は安定的につながっていくのです。そして仏教の枠を超え、水墨画や能、茶道、料理、武道、文学、庭園など日本文化に広く深く息づいていくのです。

そして明治維新を機に、〈禅〉は西洋世界へ「ZEN」としてさらに広がっていくのです。