普門軒の禅のミカタ

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ダルマさんの四つの思想(1)見性成仏(けんしょうじょうぶつ)

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四聖句の最後〈見性成仏(けんしょうじょうぶつ)〉は禅の目標にあたり、もっとも重要な句です〈仏〉とは目覚めた人、真理を悟った人という意味です。

仏としての本質・能力を自覚して、本来の自分に戻れ

性とは本質、能力のこと

〈見性成仏〉とは自分に具わっている「性を見、仏に成る」という意味です。「見る」というのは、確認し、自覚し、受け入れ、目覚めるという一連の流れを言うのです。「仏に成る」とは禅的に申しますと、本来の自分に戻るということです。

ここでは〈性(しょう)〉に注目してお話しします。〈性〉とは〈仏性(ぶっしょう)〉のことで、〈仏性〉とは、私たちが持っている仏としての本質、可能性。仏として判断したり、行動したりする能力のことです。

「仏性? そんなものあるの?」

理性、知性、感性、個性と言った言葉がありますよね。「理性を失う」とか、「知性の極みだ」とか、「感性が鋭い」とか、「あなたの個性を尊重する」と言ったりします。私たちの多くはそれらが「ある」と思っています。この場合の「ある」とは厳密に言えば「有る」ということです。それは私たちはこの世の中には理性、知性、感性、個性というものが「在る」としているので、それらが私や他者に「有る」か「ない」を思ったり、感じたりすることができます。

仏性は在るのです

これと同じように、仏教においてこの世の中には〈仏性〉というものが「在る」としているので、そのが私や他者に「有る」か「無い」かを思ったり、感じたりすることができるというのです。

ちなみに理性、知性、感性、個性というものは明治に西洋の言葉を翻訳したものです。つまり江戸時代までそんなものは「在りません」でした。しかし、仏教が伝来した飛鳥の御代より〈仏性〉というものは「在りました」。「見性成仏」とは仏としての本質、能力を自覚して、本来の自分に戻るということで、これが禅の目的です。

天龍寺や西芳寺の作庭でも有名な夢窓国師はその著書『夢中問答』で「見性成仏」についてこのように譬えられております。

「酒に酔って本心を失っている状態から、酔いがにわかに醒めて、本心にもだったようなもの」

夢窓国師『夢中問答』


酔い醒めの心地良さを強調され、自分だと思っていたものから解放され、本来の自分にもどる。そういうものだとおっしゃっているのです。

「祭りの後」なんて表現もありますね。