江戸時代以前には、仏教という言葉はなく仏道または仏法と呼んでいました。もともと「教え」という言葉を用いていませんでした。
教えは「〜させること?」
使役の助動詞に用いられる「教」
「教」の字の左側「效」はならうという意で、右側「攵」は鞭を手に持つという意です。「教」とは鞭を手に持って習わせるという意なのです。鞭を手に持つというということも驚くのですが、「教」には習う側と習わせる側があるのです。その理由に「教」の字は「〜せしむ」というように使役の助動詞に使われます。
仏道の教えは「法輪」と言いました。〈法〉とは真理のことで、「輪」とはチャクラと呼ばれる輪っかになった武器の一種のことです。法が人々の迷いを打ち払うさまを、チャクラが悪を打ち破ることたとえていったものです。
古代インドの人々はお釈迦さまのお悟りなさった真理とそれを伝える行為を見て「法輪」と言ったのです。
教えでなく、実践している姿そのもの
お釈迦さまの教えている姿ではなく、その人々が教えられている姿でもなく、人々がその教えをもとに、それぞれの苦しみから打ち勝とうとする実践の姿そのものを表現し「チャクラ」という言葉を用いたのでしょう。
私の知人が幼児の子育てをされている折、こういうことを言っておられました。
「子供は親の言うことはしないけど、親のすることはまねる」と