日本人にとって言葉とは・・・。「言葉」という言葉は日本語です。中国語で「言葉」とは「語言」とか「詞」などと言います。
ことばは真実を表しきれない
言葉はことの端っこ
この「言葉」の語源をご存じですか。「言葉」の語源は、ことの端っこというそうです。言葉は事柄の真実、全てを表しているのではなく、あくまでも一部であるというのです。
「言挙げ(ことあげ)」という日本独特の見方があります。「言挙げ」は、神道において宗教的な教えや解釈を「ことば」によって明確にすることを言います。現代では自分の言葉ではっきりと考え方を述べることは良いとされています。最近では小学校でもディベートの授業があるように聞いています。しかしこれは日本人にとっては間違いだと思います。間違いとまでは言わなくとも、これまでの日本人の伝統からはずれているものだと思います。
なぜなら自分の意思をはっきりと言葉に出していう「言挙げ」をしたとき、それが自分の慢心から来たものの場合、悪い結果がもたらされるという。これが古来よりの日本人の見方です。
「身振り、手振り」という言葉がありますが、これは「言挙げ」をせずに、意思を伝える手法です。 柿本人麻呂の歌に
「葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国」
柿本人麻呂
とああります。 言葉よりも行動に重きを置くというのが日本の文化であろうと思います。これは正しいか正しくないかの話ではありません。「かのように」という話です。