禅宗のお坊さんは、すぐに無、無、無ーっていいいますが、無我についていろいろ書いてみたいと思います。イスは座るための家具ですね。
なるほど、イスには4つの脚があり、肘掛けもついていたり、座ると言うことに関しては誠に便利な家具ですね。座布団はどうでしょうか。
特化していないから多様に使える
座布団とイス
座布団はもちろん座ることもできますが、3つ、4つ並べれば敷き布団にもなります。折りたためば枕にもなります。そのままでも花札のテーブルにもなります。使わないときは重ねて片付けることも容易です。
座布団は座ると言うことに関してはイスに劣るかもしれません。しかし座ることに特化していない、無我だからから多用途でもあります。
日本の建具はドアに比べると何とも頼りないのですが、閉めれば壁にもなりますし、開けるときはドアでもあります。夏になれば取り外すこともできます。襖絵はキャンパスでもありますね。座布団と同じ特化していない無我だからこそ、多様に使えるのです。
六畳間とゲストルーム
ゲストルームやダイニングルーム、ベッドルームのように部屋の名前がありますが、和室には名前がありません。一般的に四畳半とか、六畳間といったように、畳の枚数が部屋の呼び名になります。四畳半が場合によっては寝室でもあり、襖を外し隣の部屋とくっつければ、宴会場にもなります。
和室は部屋としては個性のない、特化していない部屋なのですが、だからこそ融通が利くというものです。しかも部屋にはあまり家具を置きません。それも部屋が特徴付かない理由でもあります。
随筆のエッセイ
「エッセイ」という言葉が英語にはああります。「essay」と書きます。日本語ではエッセーとか、随想、そして随筆と訳される場合もあります。この「essay」という言葉は、もとはフランス語の「essai」から来ました。
フランス語で「essai」は試しとか、試作、試験という意味で、英語ではtry、trial、testと訳される。 この「essay」を随想、随筆と訳していいのでしょうか。 随筆。文字通りに見れば、筆に随う(したがう)ということです。試すといったように能動的な意味はありません。むしろ筆に随う、筆にまかせるわけだから作為的でもなく、むしろ受動的でもあります。 筆に随う。いかにも無我的な「試み」だと思うのです。
日本語だって無我の言語です
私たちの普段の会話では「湯飲み、取って」といえば、あの湯飲みなのか、その湯飲みなのか、私の湯飲みなのか、だいたい判断できます。また私に取ってほしいのか、彼に取ってほしいのか、状況で理解できます。しかし英語等はそうはいきません。「Give me your cup.」誰に誰の(どの)湯飲みをとってほしいのか言わなくてはなりません。主語や所有格とか冠詞などを言わないと通じません。
また私たちは、私はとか、あなたはとか、彼の、彼女をとか日常の会話では用いません。誰というのをはっきりさせなくても文章として成り立ちます。
この日本語こそ、無我の世界観を言語にしたものだと思うのです。
またいろいろ無我を発見したら綴りたいと思います。みなさんも身近な無我を見つけたら教えて下さい。