普門軒の禅のミカタ

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信心銘の話〈前説〉

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これからしばらくの間、〈三祖僧璨鑑智禅師(そうさんかんちぜんじ)〉の書かれた『信心銘(しんじんめい)』についてお話しいたします。〈初祖菩提達磨大師(だるまだいし)〉、2代目が〈二祖慧可大祖禅師(えかだいそぜんじ)〉、そして3代目が〈三祖僧璨鑑智禅師〉となります。

仏教にとって大事なことは「信心」

仏教は心を信じる

僧璨鑑智禅師は西暦500年頃の人と言われていますが、お生まれになった年月、場所、名前など詳しいことはほとんどわかっておりません。一説には、華北徐州の人だとも言われております。

仏教にとって大事なことは「信心」です。他の宗教では「信仰」とよく言われておりますが、禅においては信仰と言うことはないといわれています。「信仰」というのは、天にまします神を仰ぎ、つまり自分の外にある真理を仰ぎ信じるということです。しかしそういうことは実は仏教にはなく、仏教では「信心」、心を信じるのです。己の内に元々具わっている心を理解し、その心を信じ、その心に随って生きることが仏教であり、特に我が禅なのです。

人の心そのものが信なのである

さて、『信心銘』についてですが、まずはその言葉のそのものを見てみましょう。初めに「銘」についてですが、銘とは金偏がつくように石や金属など固いものに刻んだ大切な言葉の言葉のことであり、後生に残す文や戒めを指します。

次に「信心」とは語学的には「信ずる心」と「心を信ずる」と二通りに解されますが、秋月流珉老師は禅的な解釈としてこういっておられます。

「信心は衆生心である。人が誰でも持っている心のことである。迷う心もこの心であり、悟る心もこの心である。信心といっても自分の心を信ずることでもなければ、他の仏を信ずるのでもない。人の心そのものが信なのである禅はそうした心の問題に終始する」

『禅語録16』信心銘より

心の問題そのものが禅

禅は初祖達磨と二祖慧可の有名な〈安心問答(あんじんもんどう)〉以来、ただこの「心」を問題にして〈仏心、本心〉〈仏性、本性〉を看取して、〈ブッダ(悟った人、自覚した人)〉となることを説いているのです。達磨の〈直指人心見性成仏〉人の心を真っ直ぐに指して、〈仏性〉を見て、〈ブッダ〉となるゆえんです。そうした禅の「信心」をうたいあげたのが、146句、584文字の『信心銘』です。  この『信心銘』をしばらくみなさんと味わってみたいと思います。