普門軒の禅のミカタ

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信心銘の話〈その6〉

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一つのものとして心が落ち着くと、あとかたもなく自然に何もなくなってしまう。心が騒ぐといって静止させることになれば、静止させるほどますます心は騒ぐ。動と静の両端にかかわりあうだけのことであり、どうして一つのところがわかろうか。

二元対立を超えたところに「本来」はある

一種平懷なれば 泯然として自ずから盡く
動を止めて止に歸すれば 止更に彌よ動ず
唯両辺に滞らば、寧んぞ一種を知らんや

一つのものとして心が落ち着くと、あとかたもなく自然に何もなくなってしまう。心が騒ぐといって静止させることになれば、静止させるほどますます心は騒ぐ。動と静の両端にかかわりあうだけのことであり、どうして一つのところがわかろうか。
『禅語録16 信心銘 梶谷宗忍』

一種平懷なれば 泯然として自ずから盡く
動を止めて止に歸すれば 止更に彌よ動ず

選択、憎愛、順逆、取捨、そして有無。こういった二元対立の世界を超えたところが「一種」です。「平懷」というのは平静とか、平穏という意味です。とらわれない平和な心のことです。「泯然」とはすべてが消えることですから、「泯然として自ずから盡く」とは、自然ととらわれなくなるという意味になります。

そのように有にも無にもとらわれない、ありのままに生きていくことが「至道無難」であり、「平常心是道」であり、「悟り」であり、「本来への自覚」であります。

しかし私たちはとらわれてしまう癖がある

ところが私たちの心というものは、すぐに有というものにとらわれてしまう癖を持っています。何も思ってはいけないと言われると、心というものは余計に動いてしまう。これが「動を止めて止に歸すれば 止更に彌よ動ず」です。

唯両辺に滞らば、寧んぞ一種を知らんや

「両辺」とは二元対立の観念のことです。この対立があるからこそ私たちは迷ってしまうのです。私たちはこの世の中に対立、比較、相対があると思い込んでいるから、いつまで経っても「一種平懷」という心境になれないというのです。

お釈迦様のお言葉をまとめた『法句経』に

勝つ者は恨みを受く
負ける者は夜も寝られず
勝つと負くるとを離るる者は
寝ても覚めても安らかなり

『法句経』

とあります。人と争うは本当はすべきではない。お互いの気分からも決してしたいことではありません。争ってみたところで勝てば勝ったで恨まれるし、負ければ負けたでやっぱり悔しくて夜も眠れない。そういう争いから離れた者、畢竟一番幸せな人であります。

このお釈迦様のお言葉は対人関係の事だけではありません。己の心の中も勝った負けたという二元対立から離れた者は一番幸せ、「一種平懷」、「本来への自覚」すれば、自ずと悩むこともなくなるというのです。