普門軒の禅のミカタ

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日本人として生きたい

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私がこの道に進んだ目的は「日本人として生きたい」ということでありました。私は昭和47年の生まれですから、いわゆる戦後教育を受けてしまった世代です。

日本人として生きることを教えられていない、少なくとも意識の薄い教育を受けた世代です。つまり日本人である前に、一人の人間、個人として、そして国境を越えた世界市民として生きるべきと教えられた世代である。

日本人とは何なのか

日本とは何かを探した二十代

自由、人権、民主主義、平和主義こそ金科玉条のごとく正しい考え方だと思ってきました。思ってきたというよりも疑心すら抱きませんでした。そして戦前の日本は間違っていた、悪いことをしてきたと信じていました。

そんな私は二十代半ばから急激に日本人として生きることに意識し始めました。日本人として生きるということは、日本と何なのかを探すことでもありました。「日本とは何なのか」。

日本論、日本人論いろいろ書籍を読み、いろいろな映画やビデオを見た。祖父を始め、お年寄りに戦前のお話を聞いたりした。そして古い家を借り、着物を着、文字通り衣食住を日本人らしいものに切り替えていった。それがジャパニーズであった二十代の私の日本人として黎明期です。

幕末の偉人に佐久間象山先生がいます。十代は家族のことを考えろ、二十代は故郷のことを考えろ、三十代は国のことを考えろ、四十代は世界のことを考えろとおっしゃったといわれています。現代の多くの日本人は十代でも四十代でも六十代でも、自分のことを考えろという感じでしょう。

二十代に入り、私の日本人として目覚めをさらに強いものになっていきた。「俺だけでも日本人になりたい」そんなふうに思っていました。古い家に住み、着物を着、古い生活道具に囲まれて、お年寄りからいろいろ話を聞いて、古い映画や民謡などを聴く生活を過ごすうちに、少しずつ「日本人の形」が見え始めていたつもりでいました。

祖父の聞き語りを始める

そんな中、私は祖父の歴史を聞き語りをした。私の祖父は明治四二年(1909)の生まれです。実は私の祖父は禅宗の僧侶でした。もちろん、祖父が禅宗のお坊さんであることはわかっていましたが、私の小さいころ、祖父がお経を読んでいるところなどは見たこと記憶がありません。むしろ、祖父がお坊さんであることに、どこかかっこが悪い、古くさいという蔑んだ思いがあったと思います。

そんな祖父の聞き語りをしていく内に、まさにおじいさんは日本人だったんだ。こんな身近に日本人がいたんだ。本や映画の中にではない、現実の日本人がいた。そして私は祖父の歩いてきた道を継ぎたい。これが私が日本人になれる唯一の方法だと思ったのです。私の中で「日本人」という私の外に存在していたものが、私の中にも存在しているんだと気づいたのです。そして祖父の道を継いでいけば、私も日本人に戻れる。私の出家した最大の理由はそこにあるのです。

日本人として生きることは、日本人として何を守るのかと言うこと

これが私の人生を大きく変えたのはいうまでもありません。「日本人として生きたい」ということから、とうとう「坊主として出家」までたどり着きました。僧侶として生きていく上で、常に「日本人として生きたい」ということは念頭に置いていきました。日本人として生きるということはどういうことかということが、少しずつわかり始めてきた。 日本人として生きるということは「日本人として何を守るのか」ということだと、私は思います。

守るとは伝えるということでもありますが、もう少し強い語彙で「守る」という言葉を私は使いたい。その守るべき内容こそ、日本人とは何かということなのです。私は仏教の道に進んだことによって、揺るがない大きなものに包んでもらえるようになった。なかなかこの心境は筆舌しがたいのですが、こんな話はいかがでしょうか。

資本主義、自由主義、人権、サラリーマン、年金といった考え方や生き方は本当に永遠のものとして信じるべききものなのでしょうか。私は実はそうではないという思いに至っています。もう少し丁寧な言い方をすれば、まだ永遠に信じるべき、守るべきものなのかどうかは実証されていないというところでしょう。

仏教徒として守るべき徳目として六波羅蜜があります。布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧というものがある。これらは少なくとも1000年以上にわたって守るべきもとして伝わってきたことであり、それは伝わってきた実績があります。つまりこれからも守っていくべき徳目だと思うのです。

日本人として何を守るのか

また日本人として守るできものとして。それは「家族」、それをふまえた「家族的なる形」こそ、日本人が守るべきもののひとつだと私は確信しています。

日本人が日本人である証は家族的なるものを大切にしているか否かであると言いたいのです。家族を中心とした暮らし方、考え方、とらえ方は当然のことながら、その家族も現在生きている人を対象としたの横の家族関係だけではなく、亡くなった祖先、これから受け継がれる子孫、それらを含めた家族です。

家族のようにみんなと生きる生き方

この日本の「家族的なる形」とは、家族がいわゆる家族だけにとどまることがないということです。これが親族、肉親に特化する儒教的家族とは根本的に違うのです。

日本人の家族の延長には、ご先祖様はもちろんのこと、町内があり、地域があり、地域のご先祖様があり、末は天皇までつながります。「家族のような」という枕言葉もあります。家族のような関係、家族のような会社。家族のような上司。家族のようなチームワークというすべて肯定的な意味です。言われたら、そんなに私を信じてくれているのかと思ってしまいます。これが日本人にとって「家族的なる形」の意味なのです。

私(わたくし)よりも公(おおやけ)を重んじてきた社会制度も、「家族的なる形」の延長になります。恥という概念も、迷惑をかけるという感覚も、「家族的なる形」であるし、仏教の先祖供養、年忌などもそうですし、結婚式も両家の縁談としてとらえられてきました。年中行事も、普段の暮らしもすべて家族で行うことが前提に作られています。またそれを行うことのできる建物自体も「家族的なる形」の結果です。

その「家族的なる形」が戦後の七〇年足らずで、近代左翼思想により見事なまでに崩壊しました。家族からの解放。それが個人です。家族の一員である前に個人なのです。それを信じていいるのです。日本人が日本人でなくなったのです。今日はこのくらいで。