普門軒の禅のミカタ

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信じると言うこと

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「私は宗教なんて信じていない」という人が(残念ながらたくさん)いると思います。でもそんな人たちも、自分では意識していないかもしれませんが、信じているものはあるはずです。

あなたは信じるものを本当に持っていませんか

誰もが「信じている考え」を持っている

たとえば、民主主義、基本的人権、個人主義、拝金主義、男女平等社会、学歴社会…。こういった主義、思想も人間の理想像やそのための手段を説いています。多くの人は自由や権利を主張し、大学に入り大企業に入りたがり、首になりづらい公務員を目指したいと思っているでしょう。ある意味では、これらの考え方を信じているから、そうしたいと思うのです。ですから、宗教を信じてはいませんと答える人たちの中にも、個人主義や学歴社会は信じている人たちはいるといえないでしょうか。

ですから「信じる」ということは、簡単に言えば、こうあった方がいいですよという総合的な考え方、捉え方と言えるでしょう。そういう意味で私たち人間にはいつの時代にも「信じている考え」が必要としているです。その考え方として宗教か、道徳か、思想か、哲学か、主義かいろいろな場合があるといえるのです。

宗教と思想、道徳と法の違い

それでは宗教、指針、規範などの違いはなんなのでしょか。

宗教…神・超越的存在・聖なるものなどについての信念や信仰、信念や信仰と結びついた個人の態度・活動・制度・信者の形成する社会などを表す。
主義…人、共同体や政府が主張や行動の指針にする原則や思想。
思想…人が自分自身および自分の周囲について、あるいは自分が感じ思考できるものごとについて抱く、あるまとまった考え。
道徳…社会や共同体において習慣の中から生まれ、通用するようになった規範のことである。また、多くの宗教の教えと重なる部分が多い。道徳は規範の一種。
法…人為により定立された法又は特定の社会内で実効的に行われている人定法と、人間や事物の本性を基礎とする法とされる自然法の二種類ある。
哲学…前提や問題点の明確化、概念の厳密化、関係の整理などの理性的な思考を通じて、様々な主題について論じる、学問の一種。

思想のと言う「考え、考え方」という枠組みがあり、その「考え、考え方」の対象や内容によって、私たちは主義や道徳、宗教、法、哲学という分け方を設けています。

 

現代社会で信じられている思想と伝統的宗教の思想は何が違うのか

しかしこれらの分け方にもう一つの要素を言いたいのです。

それは時間という継続されている長さです。

多くの日本人が個人主義や人権思想という近代思想を信じ始めたのは戦後です。たかが約六十年あまりです。しかし先祖崇拝や無我無常といった伝統的宗教は、伝統的という言葉が示すとおり、その信仰されてきた期間は何百年の歴史があります。その時代の社会の風潮、権力や主義、思想に翻弄されながらも、時間を超えて支持されてきた歴史的事実があります。それが大きな違いです。

「信じる考え」として宗教とは

宗教とは、平たく申しますと、神・仏などの超越的存在や、聖なるものにかかわる人間の営みを指します。さらに伝統的宗教とは、時を超えて受け継がれてきた聖なるものにかかわる人間の営み、信仰であるといいたいのです。

私の場合、「信じている考え」はもちろん、仏教であり、禅という伝統的宗教です。以前は多くの人のように近代思想が私の「信じている考え」でした。

伝統的宗教である仏教という信じる考えに出会って、よかったなと思うことがいくつかあります。それは人が人生において生きる目的とそれを達するための手段がわかったと言うことです。

一、人が生きる目的とは、どんな人間としての姿のことです。
二、それを達するため手段とは、その目的に向かうための営み、暮らし方のことです。

こういうと別に坊さんや仏教徒に成らなくても、わかるよという人がいるかもしれない。もちろんそうです。近代思想でももちろんそれを説いていますが、時を超えて受け継がれてきた聖なるものによる「人生において生きる目的とそれを達するための手段」を知ったと言うことなのです。