普門軒の禅のミカタ

普門軒のブログ:毎週月・金に更新、できれば・・・

般若心経の口語訳を作ってみたいと思ったきっかけ

私はこれまで、お経は、内容よりも、それを一身に大きな声で読むことが、まずは大切だと思って参りました。しかし、ふとしたきっかけで、いろいろな方々が般若心経の現代語訳、口語訳をなされておるものを読み、本当に頭の下がる思いと、大きなショックを受けました。

住職となって10年過ぎて

宿坊を通した禅宗坊主として充実した10年

禅だ禅だといい、禅は実践だ、実践をすること、坐禅、掃除、毎日の日課が大切なんだと言い聞かせ、それなりにやってきたつもりです。

とくに普門軒の場合、普通のお寺で、お宝もなければ、史跡でもありません。ただ、葬式坊主だけはなりたくないという強い思いがありました。そんなかでこのお寺できる仏教や禅の教化活動はなんぞやというところから、やっぱり禅は生活だ、暮らしだ、禅の思想、ミカタを伝えるには、寝食を共にした宿坊がいいという思いから、宿坊を始めました。

国内が多くの方々に投宿(お寺に泊まること)を通して、禅の暮らしを体験してもらっておりました。そんな投宿者の中から、お寺に数ヶ月、半年と住んでみたいものがあらわれたり、学生の下宿者も来ました。さらにその中からは出家し、坊さんになった者まで出ました。彼らと投宿された方との交流や、禅の和の広がりを感じ、禅僧として大きな生きがいを感じておりました。

宿坊の中止ともがき

そんな中、数年前、子供ができ、なかなか投宿者を受け入れる時間がとりづらくなってきました。

そして一昨年、それは突然やってきました。京都市宿泊施設監視指導担当者より配達記録の手紙が来ました。お寺といえども不特定の人々に泊まってもらうことは旅館業や飲食業等に当たるとの内容でした。その指導の下、宿坊を止めるに至りました。

私として宿坊は宗教活動だと思い行っておったのですが、行政として、あくまでも旅館業や飲食業であるとの見解でした。もし続けたいのならば、旅館業や飲食業の営業許可を取るようにとのことでした。私の認識ではお寺での行為は、旅館業や飲食業ではありません。しかし行政に携わる方の認識では、お寺といえどもその行為は旅館業や飲食業に当たるわけです。本当に断腸の思いですが、お寺は旅館でもレストランではないとの私の思いで、宿坊を通した教化活動を断念いたしました。

子供もでき、宿坊もできず、居候もおらず、ここ数年の禅寺として、また禅僧としてのもがきは本当につらいもので、早く住職を降りたいとの思いにも至りました。何もやってなかなか気が乗らずつらい数年でした。

マスク作りと般若心経の口語訳

そんな中、この武漢コロナ禍です。宗教者として、坊さんとして、住職として何ができるのだろう。この数ヶ月、いろいろ私にできることももう一度、洗い直し、その一つとして、ミシンで手作りマスクを作りました。48歳にして初めてのミシンです。弟子にミシンの使い方を習い、200個近くマスクを作りました。

檀信徒の方に郵送でお配りしようと思い至りました。そのときに、ただ、マスクをお配りするだけでなく、何か、僧侶としてのお伝えできることはないかと思っていた時、何気なく以前も聞いたことのあった仏教学者中村元さんの般若心経のCDを耳にしたのです。すごくわかりやすい内容はもちろんのこと、その話し方に人となりを感じ至りました。

私はこれまで何万回と般若心経を唱えてきました。禅ではお経を読むとき、お経と一枚になれ、一心に読めと言われてきて、私もお経の内容よりは、呪文のようにただ一心に読み上げて参りました。

しかし中村元さんの般若心経の話を耳にして、あーそういう意味だったのかと改めて感じ至ったのです。すごく素直に聞き入ることができたました。と同時に、檀信徒のみなさんに対し、これまで申し訳のないことをしてしまったと、みなさんの法事に来られた時の姿や、お葬式に参列なさっている時の姿が目に浮かび、痛切な反省の思いが頭をよぎりました。

私はみなさんに何にも伝えてきてなかった。

よーし、私なりに般若心経の口語訳を作ってみよう。それがきっかけでした。