和尚さん、決まり正しい生活にするにはどうしてたらいいでしょうとよく聞かれます。私はそのとき寝る時間を決めるといいですよとアドバイスをします。それはちょうど死に様について考えるようなものです。
死に様? 生き様?
死を考えることは生きることを考えること
和尚さんは、平常、黒い衣の下には「白衣(はくえ)」とよばれる白い着物を着ます。これは白無垢などのような純粋無垢という意味ではありません。実は死に装束なのです。いつでも死ぬことができる心持ちに達するためというわけです。
私も誕生日なると、自分の「死にざま」を考えることにしています。どうやって死にたいか。どんな死を迎えるのか。死を考えることは、畢竟、生きることを考えることになります。
ちなみに遠藤周作さんはエッセイでこんなことを書かれております。
私の知る限り『死にざま』という言葉は昔あったが、「生きざま」という言葉は日本語になかったと思う。 だから、「生きざま」なる言葉をテレビで聞くとオヤッと思う。そしてやがて「生きざま」という美しくない日本語が新しい国語辞典に掲載されることを憂えてしまう。そんな言葉は美しくないからだ。
『変わるものと変わらぬものー花時計』文藝春秋
私は決まり正しい生活をするにはどうしたらよいかというアドバイスとして、寝る時間を決めルといいですよと答えています。これは寝る時間を決めることで、それまでにどう過ごすか、何を済ませておけば良いか。つまり起きている時間を有意義に過ごせるわけです。死を意識することは生きることを真正面目に向くことだと思います。
ちなみに「生きざま」という美しない言葉は1965年頃から広まったと広辞苑には書かれております。
今日はこのあたりで。