普門軒の禅のミカタ

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単純とは高めた先にあるもの

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令和二年の年明けに、誰が現在の世の中を予想されていたでしょうか。このコロナ禍の折、世の中はこれまでと違った動きが見え始めております。お寺も例外ではありません。

マスク作りを通してわかったこと

コロナ禍におけるお寺のありよう

今年の春のお彼岸は普門軒はもちろん、全国各地のお寺さんはその法要を中止を余儀なくされました。檀家さん方もご先祖様の法事を小規模な形をとるなど、仏事、お寺のありようも実際、変わっていく面も出ています。

手作りマスクとの出会い

このコロナ禍の折、普門軒としてどういうお寺のありようがあるのだろうか、禅僧としてのありようはいかなるものか、正直ずいぶんと悩みました。悩めば悩むほど、焦るものですよね。何をやっても手に着かない。

そんな中、あるニュース記事を目にしました。コロナ禍で休校中の中学生が手作りマスクを五百枚作って、老人ホームに寄贈したというのです。マスク不足のさなか、私はそのマスクを自分で作るなんて想像もしたことがありませんでした。そうか、マスクがなければ自分で作ればいいのか。坊さんは時間だけはたっぷりあるし。 

ネットで調べてみると、あるわあるわ。型紙から作り方の動画までいろいろありました。これなら出来そうだ。四十八歳にして初めてのミシン。弟子に使い方を教えてもらい、作り始めると、これがまた面白い。いろいろな形のマスクや、そのアレンジの仕方に、縫い方の工夫。

単純作業とは技を高めた先にあるものなんだ

いくつかの試作の後、これだというマスクの形に決め、そして型紙をつくり、生地の裁断、縫製をできるだけ無駄のないように、効率よくしていきました。先にここまでをやっておく、次にこれまで進めておく、これはここに置いておくといったように。はじめは一つのマスクを作るのに、1日かかっていたものが、行程やものの配置にパターンが出来てからは、頭で考えながらすることもなく、体に任せ、一日十個を作れるまでになりました。

私はこう思いました。単純作業とはその工程や技が高められていった先にあるものなのではないのだろうか。本当にその作業の工程を理解していないと単純化できからです。

禅の暮らしはシンプルライフとよく言われます。そうか、禅の暮らしが単純単調、いつも同じを求める理由は、それは禅が人の暮らしのありようをとことん高め、本当に理解して、体得していったた結果ではないのでしょうか。だから禅の暮らしはシンプルなのです。手作りマスクを通して得たこの発見は私にとって大きな収穫でした。