「お経」という言葉には、敬意あらわす「お」がつきますからもちろん日本語です。中国語では「お」をとって、「経」といいます。これは古代インドの言語サンスクリット語の「スートラ」を漢訳した言葉です・・・。
経典とはお釈迦様にまつわるお話の全集
仏典という言葉の意味は?
「お経」という言葉には、敬意あらわす「お」がつきますからもちろん日本語です。中国語では「お」をとって、「経」といいます。これは古代インドの言語サンスクリット語の「スートラ」を漢訳した言葉です。「スートラ」の元々の意味は糸、線、すじみちと言う意味があります。織物の糸がまっすぐに正しく続くことから「真理」を意味する言葉になりました。さらに真理を書き記したものも「スートラ」と言うようになりました。
その真理を書き記した「スートラ」が中国に伝来し「経」と漢訳され、日本に渡り敬意をこめて「お経」と言う言葉になったのです。ここでは「仏典」と呼ぶことにいたします。
仏典はお釈迦様がお書きになったの?
仏典の内容はお釈迦様の教えやお釈迦様にまつわるお話が書かれております。しかしお釈迦様ご本人が書き記したものではありません。当時のインドにも文字はあったのですが、文字は世俗の用事に使うもののために使われておりました。そして文字に書き示す、あるいは書き残すことによって、そのことがじぶんから離れていってしつまうと信じられていたのです。実はインドではこの習慣は今でも残っております。
そのためお釈迦様の教えは口伝によって弟子から弟子へと伝えられたのです。口伝のため、その内容を暗唱する必要があります。それが、現在でもお坊さんが仏典を暗唱する理由でもあると言われております。私はそうは教わりませんでしたが。仏典が書き記されたのは後のことです。
仏典は誰がまとめたの?
お釈迦様がお亡くなりになってから、すぐにお弟子さんたち約500人が集まって、お釈迦様の教えやエピソードなどを「スートラ」として、まとめることになったのです。これを「結集(けつじゅう)」と言います。
このときにお釈迦様の教えやエピソードなどを「私はこのように聞いた(如是我聞・にょぜがもん)」と全員で一つ一つ確認しながらまとめたのです。それで仏典の最初は必ず「如是我聞」で始まるものが多く、また仏典の題名には、お釈迦様(仏)の説かれたという意味の「仏説」とつくものが多いのです。
ただしこの時は先ほど申しましたとおり、書き記された「スートラ」ではなく、口頭で確認された「スートラ」です。
仏典はなぜ作られたの?
お釈迦様がお亡くなりになってから、ある修行僧が「これでお釈迦様からあれこれ言われなくてすむ」と放言をはいたのです。それを聞いた中心的なお弟子さんがお釈迦様の正しいお教えをまとめ、伝えなくてはならないと考え、「結集」して、「スートラ」をまとめ上げることにしたのです。実は「結集」はこれまでに6回行われました。最も近い「結集」はなんと1954年にビルマで開かれております。
仏典はどんな文字で書かれたの?
お釈迦様が亡くなられてから数百年後と言われておりますが、ようやく、文字として「スートラ」は書き記されるようになりました。当時お釈迦様が話されたいた言語の「スートラ」は残っておらず、現在残されている「スートラ」の最古のものはパーリ語です。ただし多くの古い「スートラ」はサンスクリット語(梵語)で書かれております。当時パーリ語は会話に用いられ、サンスクリット語は文語として用いられていました。ヨーロッパにおけるラテン語のようなものです。
仏典はなんでたくさんあるの?
多くの方が仏典に対して抱く疑問だと思います。キリスト教やイスラム教などではそれぞれ一冊の仏典としてまとめられているのですが、仏典の場合は八万四千の法門といわれように膨大な種類の仏典がございます。あまりにも多すぎて、現在でも正確な数はわかっていません。
なぜこんなにも種類が多いのかと言いますと、最初の「結集」以来、その後も1000年以上にわたり、仏典は作り上げられているからです。さらにお経が伝わった地域、インド各地や東南アジア、中国、日本でも作られるのです。
次回は仏典の種類についてお話しします。