これまで数ヶ月にわたり拈提してきました般若心経の現代語訳の第3弾が出来ました。この第3弾はもう少しわかりやすくなったと思います。今回はとくに自信をもったものになりました。一度、読んでみてください。
「縁起」と「空」の体得を説くお経
観音様は心静かにものごとを深く深く観察なさっていた時、あらゆるものごとの「本来の姿」は、絶えず変化し依存し合う無限のつながりや条件と言った、関係性によって生じているのであり、故に自立した絶対的なものごとなどはないと見抜かれたのです。だからものごとの本来の姿を見極め、そのまま受け入れることで、目の前の苦しみや悩みも自ずと消えていってしまうと仰ったのです。
よく観るのです。形あるものは無限の関係性に他ならず、無限の関係性もまた形 あるものに他ならないのです。だから形あるものとは無限の関係性の現れと言え、無限の関係性の現れが形あるものと言えるのです。同じく私たち自身が心で感じること、思い浮かべること、形作ること、見分けることもまた、変化し依存し合う無限の関係性によって機能しているだけなのです。
もっともっと深く観てごらんなさい。ものごとの本来の姿は、無限の関係性によって生じているので、生じる滅する(有無)、汚れる清まる(善悪)、増える減る(分別)などの二元対立する絶対的なものなどもないのです。またものごとを感 知する眼・耳・鼻・舌・身体・心の働きも、その対象である形・音・香り・味・触れられるもの・考えられることも、そしてそれらによって感知された世界もまた、無限の関係性によって生じているだけなので、不変的なものではないのです。その上迷いや迷いが消えることも、老いて死ぬことや老いて死ぬことが尽きることも、さらには悩みや理由、答えや手段、それらの結果や損得も同じく、無限の関係性によって生じているだけなので、絶対的なものとしてとらわれる必要はないのです。
だからこそ本当の自分でありたいと思う者は、ものごとの本来の姿を見極め、受 け入れる力の体得(般若波羅蜜多)により、心に理想と本来のとらわれがなくなり、とらわれがないからこそ、心の悩み、恐れや不安もなくなっていくのです。つまり理想という妄想から遠く離れることで、無限の関係性によって生かされている本来の自分の姿が浮かび上がり、本当の意味で自ずからに由る生き方ができるのです。
過去現在未来の仏様も、般若波羅蜜多により、ものごとの本来の姿は、絶えず変化し依存し合う無限のつながりや条件と言った、関係性によって生じているという「縁起の道理」と、故に自立した絶対的なものごとなどはないという「空の思想」 を得るのです。
今こそ見て取るのです。般若波羅蜜多とは、尊い力をもった道、尊い確かな道であり、この上のない道、比類のない道なのです。だからこそ一切の苦しみは除かれる、偽りのない道なのです。最後にこの般若波羅蜜多という言葉を讃えましょう。
見極め、受け入れんとする者よ、見極め、受け入れんとする者よ、本来の自分を見極め、受け入れんとする者よ、本来の自分を素直に見極め、受け入れんとする者よ、おまえさんの無数無限の「あはひ」に幸あれ。 般若心経。
※「あはひ」とは、日本語の古語で「あいだ、すきま、仲、組み合わせ、色の調和」のこと。