あけましておめでとうございます。今年の初めのブログです。何かを書こうと思ってたのですが、私の人生もすでに半分を折り返している身です。はやりこの世の中のためのことを書くべきと思います。
思想の持てない時代
その時代の人々が一般にいだく思想。思想の流れ
それは当然この世の憂いです。この世とは今私を含め生きている人間に対する憂いであり、この世の先に対する憂いです。みなさんもお感じの通り、今の世はいろいろな問題が山積しています。決してその先は明るいとは言えません。それは何も日本に限ったことではなく、特に先進国と言われる国々においてその状況は深刻です。先進国と言われる国々が、結局、この世の中に影響を与えてしまう。これはおわかりのことだと思います。しかし国々と言われて、畢竟、そこに暮らし、生きている我々自身のことであるとはなかなか実感できない。
人とは何か。それは思想です。人という物体をつかさどるのは思想です。しかし日常を過ごすにおいて、その思想が私たち自身をつかさどり、多大なる影響を及ぼしていることに意識することほとんどありません。私たちは活動をし、生きています。その結果、いろいろな影響、結果をもたらします。
私は思います。今の世の非常に深刻な問題は、人々が思想にたどり着けないことです。たどりつけるのは思潮までだけなのです。
思想:心に思い浮かんだこと。考え。特に、生活の中に生まれ、その生活・行動を支配する、ものの見方。
思潮:その時代の人々が一般にいだく思想。思想の流れ。
実践と実感を必要とする禅という思想
今の世の人々、先進国に生きる人々は、本当に自分の身の回りの実態のある、生活感から生まれた思想までたどり着くことがなかなかできず、世の中の良いと思われる思想の流れに巻かれてしまうという傾向がとてもつよく、本当の思想に巡り会えない環境、状況にあると思います。
実際、私もそうでした。中学を卒業したら高校へ行かなくてはならない。それも普通課。そして大学へ入り、いい会社に入らないと幸せな人生を歩めない。疑いもなくそのように思っていました。自由に職業が選べる。自由に表現ができる。多数決で物事を決める。疑問なしに本当にいいと思っていました。しかしこれは私のなかなか生まれてきた思想ではなく、その時代の人々がいだいてた思潮です。
私は紆余曲折を経て、禅に出会い、禅の道を歩むことになりました。私の思想、ものの見方は一変しました。自由に職業が選べる。自由に表現ができる。多数決で物事を決める。確かにいい面もあるが、それは事と場合によってはそうだと言えない場合もある。その事と場合による判断力をつかさどる思考力をなかったことを気づかさせてくれました。禅は言います。主体性を持て。本来を見よ。足下を見よ。まさにそういう思想を持てという思想です。思潮に惑わされるな。しかし禅の思想はなかなか理解されづらい。それは禅は実践を重んじ、実践を求めるからです。実践を通してでないと、結局自分のものにならないという思想なのです。
どうぞ、40を過ぎた大人のみなさん、思潮に流されず、時代を超えた己の思想を持ってください。そしてその思想を種を次世代にまいていってください。それは私たちがこの世に生まれたとても大切な使命です。