普門軒の禅のミカタ

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自覚を求められる宗教

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宗教は一般的に人々の救済をその教えのテーマにしている場合が多いです。キリスト教やユダヤ教、イスラム教にしても、その教えの中心には人々の救済が説かれています。日本の神道の教え同様の面をみることができます。しかし仏教というと・・・。

自覚を求められる宗教

そもそも仏教とは

『臨済宗聖典』には、宗教とは、絶対的なものを信仰し、体得することにより、自分自身の中に永遠なる希望なる光明と心の安らぎを見出してゆく教えを「宗教」と申しますとまとめられています。

仏教とは、お釈迦様がご自身で修行され、ご自分で体験されたその絶対的なものを、すべての人々がそのまま信仰、体得できる方法にし、教えにまとめたものを「仏教」と申します。「仏教」において、絶対的なものとは、すべての人がみんな本来清浄な心を持っていると教えます。

もう少しわかりやすく申しますと、仏教とは「どう生き抜くのか」テーマにした教えだと思っています。そのために悟りなさいといいます。「覚り」と書いてもいいでしょう。それは「気付き」といっても良いですし、「体得」といってもいいでしょう。私は「自覚」という言葉が一番納得いっております。それでは何を自覚するのか。

宗教的自覚と、個人的自覚

こで「自覚」ということを、押さえておかなくてはなりません。私はこういう経験から、このような哲学を持つに至ったとか、私は自分の体験からこういう信条、自覚を持っている。こういうことは誰しも持っているものだと思います。しかしこれらの哲学、信条、自覚といったものは個人的なものです。

仏教で言うは自覚とは仏教的体系的な体得による自覚をいうのです。このことをまずふまえておきたいです。

それはこの世の真理を「自覚」するということです。真理とは。仏教には真理と呼ばれるべきいくつかの根本的な教えがございます。その中でも私は「縁起法」こそ、仏教が仏教である根本的な教えだと受け止めています。

この世(すべての現象)のは、直接(因)にも間接(縁)にもそれぞれ関わり合って(関係性において)生滅し、変化していると考えています。これを「縁起法」とか「縁起説」といいます。これは仏教の根本中の根本的な教え(見方)です。こういったものの見方をしないから、自覚しないから、私たちは苦しみ、悩むというのです。自覚をしていないことを無明といいます。故に仏教はその本当の見方を己自身で自覚しなさいと説くのです。このことが仏教が「悟りの宗教」といえるゆえんです。

何を自覚するのか。それは縁起の法

それはこの世の真理を「自覚」するということです。真理とは。仏教には真理と呼ばれるべきいくつかの根本的な教えがございます。その中でも私は「縁起法」こそ、仏教が仏教である根本的な教えだと受け止めています。

この世(すべての現象)のは、直接(因)にも間接(縁)にもそれぞれ関わり合って(関係性において)生滅し、変化していると考えています。これを「縁起法」とか「縁起説」といいます。これは仏教の根本中の根本的な教え(見方)です。こういったものの見方をしないから、自覚しないから、私たちは苦しみ、悩むというのです。自覚をしていないことを無明といいます。故に仏教はその本当の見方を己自身で自覚しなさいと説くのです。このことが仏教が「悟りの宗教」といえるゆえんです。