普門軒の禅のミカタ

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存在には本質があり、能力があり、働きがある

f:id:fumonken:20191227064847j:plain私には尊敬する道場の先輩がいます。その方が住職をしておられるお寺には禅堂といって坐禅のためのお堂があります。実はそのお堂は松下幸之助氏によって建てられた禅堂です。

こういったものはいずれ満足できなくなる時代が来る

一生懸命に働き、摂生に努め、勉学に励んだ

「自分は貧乏であったこと。自分は病弱であったこと。自分は学歴がなかったこと」 松下幸之助氏は「一代で世界企業にした成功の秘訣は?」との質問に対しての答えが上記のようにお答えになったそうです。氏は「貧乏」であったから一所懸命に働き、「病弱」であったから摂生に努め、「無学歴」であったから勉学に励んだということです。

自分という「存在」の「本質」と「能力」と「働き」を見極める

仏教では、 自分とは「存在」があり、その存在には「本質」があり、その存在と本質には「能力」があり、その存在と本質と能力には「働き」があるととらえます。 そしてその「存在」と「本質」と「能力」と「働き」によって、自分に起こりうるの「直接的原因=因」がつくられるというのです。

その「直接的原因=因」と自分のまわりをとりまく「間接的原因=縁」によって、自分に起こる「結果」が生まれる。 そしてその「直接的原因」と「間接的原因」によって、まわりに起こる「影響」が生まれるというのである。

禅の修行は、自分という「存在」の「本質」と「能力」と「働き」を見極め、それを素直に受け止めることにあり、そしてそれを磨くことにあります。 自分への結果やまわりへの影響は後でついてくるのです。

誰もが松下さんのようになるわけではありません。私たちはそれぞれの存在であるが故に、それぞれの本質と能力、そしてその働きがある。それを自分の存在のためにつかうのではなく、世のために人のためにならなくてはなりません。

私はその先輩の和尚さんに「なぜ松下さんはこのようなものを建てられたのですか」と伺うと、氏はこう言っていたそうです。「私たちは家電をつくり、ものを豊かにすることで人々が幸せにあるお手伝いをしてきたが、こういったものはいずれ満足できなくなる時代が来る。そうした時にお寺や坐禅などが必ず必要になる」とそのようなことをおっしゃっていたそうです。それにしても戦前生まれの経営者には徳の高い、道を知る人々がいた者ですね。