普門軒の禅のミカタ

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生きる、亡くなる

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漢字の「命」の音読みは「メイ」ですが、ひざまづいている人に言いつける「令」に「口」をつけることで、言いつける意味をより明らかにしたというのが、もともと意味だということです。

生きると言うこと、亡くなると言うこと

息をしている内

そこから派生して大いなる天の命ずるところつまり運命、人の寿命という意味に派生しました。 その「命」を訓読みでは「命」は「いのち」と読みますね。

「いのち」という和語は「生き」「息」を意味するということです。「ち」は「内(うち)」を意味するらしい。つまり「生きの内」「息の内」。

生きている間、息をしている期間といいううことです。 古来日本人は「いのち」を「生きる」「息」と直接結びつけていたのです。

私たちは大きな目に見えないものによって生かされているのでしょう。それをGODと呼んだり、天と呼んだりすることもある。しかし所詮は「息」をしていることが「生き」ていることであるのでしょう。命とは息をする力のことでしょう。

私たちは食事を食べ、働き、充実感も得たり、冬になれば体を暖め、夏になれば冷やし、危険が起きれば身をかばう。これもすべて息をするための力を保つためなのだろうか。 息が止まったとき、命はつきる。 命とは息をすること。

「息」は「生きる」と「命」が同じ音であり、そして「息」は「自ずから」の「心」と書きます。

もの陰に隠れる

一方、人の死を「亡くなる」といいますよね。実は「亡」の自の上の部分「亠」(ナベブタ)は「人」を意味するのです。そして下の「L」はものかげを意味するというのです。ですから人がものかげに身を隠す形が「亡」の字なのです。

人が死ぬことを、ものかげに隠れたのだと古来の人々は捉えた。人の死とは無くなったのではなく、亡くなった(隠れた)ということなのです。

ちなみに同じ 「亠」(ナベブタ)に「交」の字がありますが、上の「亠」ははやり「人」の意味で、 下の「父」の字は人が足を組んでいる、交差させている形で、そこからまじわるという意味の字になったらしい。

線香の煙ははじめは目に見えるのだが、しばらくすると目に見えなくなる。しかしさっきまでは確かにあった。目にすることができた。では、煙は無くなってしまったのか。 煙は亡くなって(物陰に隠れて)しまったのだろう。そして周りのものと交わっていったのだろう。 人の死とはそういうものだと受け止めたいと思っています。