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お経の話4 お経の解釈の結果

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仏典の種類には大きく『経』『律』『論』の三種類ございます。『経(きょう)』はお釈迦様の教えをまとめたもの。『律(りつ)』は仏教徒としての行動規範をまとめたもの。『論(ろん)』は経や律を研究して注釈をまとめたもの・・・。

お経とはお釈迦様にまつわるお話の全集 

『論』の解釈によりグループが分かれる

経典の種類には大きく『経』『律』『論』の三種類ございます。

『経(きょう:スートラ)』は、お釈迦様の教えをまとめたもの。
『律(りつ:ヴィナヤ)』は、仏教徒としての行動規範をまとめたもの。
『論(ろん:アビダンマ)』は、経や律を研究、注釈をまとめたもの。


前回のブログでも少し触れたのですが、この『経』『律』『論』の解釈を巡って仏教教団は分かれていくのです。ここでは仏教学(学問として仏教を見る立場)において、仏教の教団、宗派の大きい歴史をお話しします。

学問上、仏教の歴史の時代区分は、初期仏教時代、部派仏教時代、上座部仏教・大乗仏教時代に三区分する見方が主流です。

お釈迦様の教えから約150年間の初期仏教時代

初期仏教時代は原始仏教とも言います。お釈迦様のご存命の期間を含めて約150年間を言います。前々回お話ししたとおり、仏典は当時、口誦によって伝承され、後に文字にされ、それを経・律・論と三つに大きく分類しました。そのとき、「結集」と呼ばれるお弟子さんの会議で、その内容が吟味されました。実はこの時、『経』と『律』に関してはのまとめ上げる責任者がいました。しかし『論』に関してはその責任者がいなかったのです。これがのちに根本分裂の原因となるのです。

お釈迦様の亡くなられて約100年後の第2回「結集」の時、『律』と『論』の解釈の違いによって、保守的なグループ(上座部といいます)と進歩的なグループ(大衆部といいます)とにしだいに分かれていったようです。これを根本分裂と呼びます。

根本分裂から約250年間の部派仏教時代

部派仏教時代は根本分裂をきっかけに約20のグループに分かれた時代をいいます。上座部系が11グループ、大衆部系が9グループありました。このあたりのお話は仏教の宗教としての側面よりも学問的見解になるので、そういうことがあったのだなーというつかみでいいと思います。そして根本分裂から約250年くらいたって、上座部系も、大衆部系もその姿がはっきりしてきて、学問的に上座部系を上座部仏教と呼び、大衆部系を大乗仏教と呼ぶようになりました。

上座部仏教と大乗仏教時代

お釈迦様がその教えを説かれたから約500年の後、その教えはいろいろな解釈を経て、大きく二つの教えにまとまっていきます。それが上座部仏教と大乗仏教です。に現在の仏教はその歴史区分で言いますと上座部仏教と大乗仏教時代といえます。

上座部仏教はもともと保守的なグループを起源としていることでおわかりの通り、お釈迦様の教えや実践内容を純粋な形で継承していこうという仏教です。原始仏教に近い状態を保っている仏教だといえます。インドにおいて11のグループに分かれていた上座部系のグループもいろいろな変遷の後12世紀頃にはスリランカで1つの上座部仏教としてまとまり、それが主に東南アジアに伝わり、広がっていきました。

 

大乗仏教はもともと進歩的なグループがその起源ですから、お釈迦様の実践された形をより多様化していったことにその特徴があります。インドにおいて9のグループに分かれていた対主部系のグループも紀元前後には大乗仏教としてその姿がまとまり始め、さらに4世紀頃には2つのグループになっていきます。その大乗仏教は主に東アジアで広がり、天台系、浄土系、禅系、密教系の大きく4つに分かれていきました。

上座部仏教の経典(お経の全集)は一つ

上座部仏教を経典で見ますと、部派仏教時代の上座部系の『経』『律』『論』がパーリ語でまとめられた『パーリ経典』を用いています。現在は1つの上座部仏教としてまとまっていますので、経典も『パーリ経典』のみとなります。※確認しておきますが、「経典」のなかに、たくさんの『経』『律』『論』がまとめられた書物もがあるわけです。全集のようなものです。

キリスト教の『聖書』やイスラム教の『コーラン』はご存じの通りこれからも書き加えられることはありません。『パーリ経典』もそれに似ています。ただし近代以降も「結集」が行われたようにその内容の再編纂を試みています。また『聖書』や『コーラン』は一冊ですが、『パーリ経典』は全15部、65巻から構成されています。

大乗仏教の経典(お経の全集)多数

一方、大乗仏教を経典で見ますと、大乗仏教の大きな基盤は紀元前後ころから1世紀の半ばにその原型の成立を見る『般若経典』です。有名な『般若心経』も『般若経典』のうちの1つです。

ただし大乗仏教はその特徴に多様化があります。その結果、経典も多様化していき、『経』が何部、『律』が何部、『論』が何部というようにいかなくなっていきます。そこで中国の南北朝時代に『一切経』(魏での呼び方)『大蔵経』(梁での呼び方)と呼ばれる『パーリ経典』のようなまとめられた形の経典の編纂が行われていきます。そして随や唐の時代には『経』『律』『論』あわせて1076部5048巻としています。ちなみに大正から昭和に10年かけて日本でまとめられた経典である『大正新脩大蔵経』には全部で31部、100巻の経典によって構成されています。

しかし残念ながら、大乗仏教の経典に関しては古代インドの言語(サンスクリット語やパーリ語)での経典は一部が伝えられているだけです。現在の大乗仏教の経典は漢訳とチベット語訳がその原本であるといえます。ちになみに法隆寺には現存最古のサンスクリット語で書かれた『般若心経』が伝えられております。『般若心経』ももとはインドで書かれたサンスクリット語なんですよね。

いずれにしてもお経は何部とか、何巻とか、何冊といったりとにかく八万四千の法といわれるように数え方も多種多様、とてもたくさんあると言うことはその通りなんです。