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お経の話3 『律』『論』について

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仏典の種類には大きく『経』『律』『論』の三種類ございます。『経(きょう)』はお釈迦様の教えをまとめたもの。『律(りつ)』は仏教徒としての行動規範をまとめたもの。『論(ろん)』は経や律を研究して注釈をまとめたもの・・・。

お経とはお釈迦様にまつわるお話の全集 

仏典の『律』について

仏典の種類には大きく『経』『律』『論』の三種類ございます。

『経(きょう:スートラ)』は、お釈迦様の教えをまとめたもの。
『律(りつ:ヴィナヤ)』は、仏教徒としての行動規範をまとめたもの。
『論(ろん:アビダンマ)』は、経や律を研究、注釈をまとめたもの。


前回のブログで申し上げたとおりです。では『律(ヴィナヤ)』はお釈迦様が直接お話しされた事柄なのでしょうか。実はこの「律」はお釈迦様が存命中にお弟子さんたちが、お釈迦様の弟子として守るべきことがらをまとめたものです。

『律』はお釈迦様の教えられた道を歩む仲間たちとの集団生活、修行を営むための修行生活の規則のことです。ここでは特に出家者に与えられた規則です。この内容は2つの種類があります。「波羅提木叉(はらだいもくしゃ)」「犍度(けんど)」です。前者は個人に課せられた禁止事項で、後者は集団生活の運営のための規則となっています。規則ですから、ルールだけではなく、罰則についても書かれております。

『律』の仏典には『四分律』とか、『十誦律』『パーリ律』などがありますが、実は現存する『律』の仏典は6つしかありません。

「律」と「戒」の関係

もう少し『律』についてお話しします。

みなさんも 「戒律」という言葉を耳にさされたことはあると思います。仏教の言葉で言う「戒律」は、修行者や僧団が守らなければならない規律のことではありません。先ほど申しましたとおり、『律』一文字にはそういう意味がありますが「戒」には規則という意味はございません。それでは「戒」とどういう意味なのでしょうか。

「戒」というのは規則を守ろうとするその人の”決心”で、自発的な精神を指す言葉なのです。『律』は修行者として外から与えられた規則であり、「戒」はその規則を守ろうとする内なる精神です。この内と外の融合、戒と律による修行が仏道修行です。くどくなりますが、戒をもって波羅提木叉を実践し、戒を持って犍度を実践するというのです。

したがって「戒(自発的決心)」は『律(規則)』ではありませんから、お経には含まれないといえます。お釈迦さまも教え、その道を歩むため、自分の中で解決すべき問題といえます。

ですから規則ではない「戒」に対しては罰がありません。その精神が打ち砕かれたとき、その決心を破ってしまったとしても、罰はありません。しかし『律』を破った場合は罰があるのです。実行するかどうかはさておき、そういう建て付けになっています。その「戒」と『律』ですが、「戒」は一般の仏教者へ、『律』は出家者に対して与えられたものです。

ここではお経のお話ですから、「戒」や『律』の内容については割愛いたします。ですから自発的な精神である「戒」についての内容や研究、厳密な意味で経典の一つのカテゴリーではありません。

仏典の『論』について

「論」は日常でもよく使う言葉です。討論、議論、理論、論文などよく耳にするなじみのある言葉です。仏教の『論(アビダンマ)』はもともと、七つの根本論書があるのですが、大乗仏教では経や律を研究、注釈をまとめたものも『論』として含まれていきました。論書と読んだりいたします。インドでまとめられた『中論』や『大智度論』、中国でまとめられた『大乗起信論』や『成唯識論』は有名な『論』です。日本でも『興禅護国論』、『立正安国論』など、みなさんも学校の歴史の時間に学ばれたかもしれません。

『論』は完全な書物で、私たちが慣れ親しんでいるいわゆる「お経」とはずいぶんと違います。