普門軒の禅のミカタ

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般若心経 現代語訳その1

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約2ヶ月ブログを休んでおりました。2番目の子供が生まれ、ガタガタしており、なかなか集中できず、申し訳ありませんでした。今回、ブログ再開として、毎日読んでいる般若心経を現代語にしてみました。今回はその第1弾です。何度か改変していこうと思っています。

偉大な智慧の完成の心髄を説く経典

観音様は般若波羅蜜多によって「空」を見極めました。

(お釈迦はおっしゃいました。)観自在菩薩さまは、深遠なる般若波羅蜜多(智慧の完成)をなされたとき、この世を形作る5つの要素は、みんな、固有の実体を持たない「空(くう)」であると見極め、だからこそ、あらゆる苦しみを災いを克服なされたのです。

すべてのものごとはことごとく「空」なのです。

(続けてお釈迦はおっしゃます。)弟子の舎利子よ、形あるものは「空」に異ならず、「空」は形あるものに異ならない。形あるものはそのまま「空」であり、「空」はそのまま形あるものなのです。だから5つの要素である、形あるもの、感じること、思い浮かべること、形作ること、見分けることもまた同じく「空」なのです。

だから、すべてのものごとはことごとく「無い」のです。

(さらにお釈迦はおっしゃます。)弟子の舎利子よ、高い境地から見れば、あらゆるものごとは「空」なのだから、生じることも滅することも「無く」、汚れることも清まることも「無く」、増えることも減ることも「無い」。だからこそ「空」であるということは、形あるものは「無く」、感じること、思い浮かべること、形作ること、見分けることも「無い」のです。眼・耳・鼻・舌・身体・心さえも「無い」のです。だからその対象である形・音・香り・味・触れられるもの・考えられることも「無い」し、眼・耳・鼻・舌・身体・心によって見分けられる世界も「無い」のです。

迷っているということも「無け」れば、迷いが「無く」なるということも「無い」。また老いて死ぬことも「無け」れば、老いて死ぬことが尽きることことも「無い」。苦・集・滅・道という苦しみと高い境地との因果関係も「無く」、知ることも「無け」れば、得ることも「無い」のです。

得るものも「無い」からこそ、悟りを求める者は般若波羅蜜多によるのであり、心に妨げるものが「無く」、妨げるものが「無い」からこそ、恐れることも「無い」。間違った考えや妄想から一切離れて、高い境地を極めるのです。また過去・現在・未来の仏様方もみな、般若波羅蜜多により、阿耨多羅三藐三菩提(無上の高い境地)を得るのです。

般若波羅蜜多の言葉の力もって、いざ歩まん。

(お釈迦はおっしゃいます。)故に知るべし。般若波羅蜜多とは、偉大なる霊力をもった言葉であり、偉大なる明らかな言葉であり、、この上の「無い」言葉であり、比類「無き」言葉なのです。だから一切の苦しみを除き、真実であり、うつろならざるものなのです。

だからこそ、般若波羅蜜多という言葉を、ここで説きましょう。

往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に完全に往ける者よ、悟りよ、幸あれ。これぞ、偉大なる般若波羅蜜多の心髄を説く経典なり。