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摩訶般若波羅蜜多心経 現代語訳完成!!

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般若心経の現代語訳に挑戦してきましたが、ある程度の形がようやくできあがりました。今後は法事などの際には、般若心経をお経としてお読みする前に、この現代語訳を読んでから始めようと思います。これから数回にわたって般若心経のお話をさせていただきます。

摩訶般若波羅蜜多心経 現代語訳

摩訶般若波羅蜜多心経

摩訶般若波羅蜜多心経
(お釈迦様はおっしゃいました) 観音様は心を静かにしてものごとを深く深く観察なさっていた時、あらゆるものごとの「本来の姿」は、絶えず変化し続ける無数無限の条件やつながりの上に生じているものであり、故にその実体と呼べるものは何一つないと見抜かれたのです。だからものごとの本来の姿を見極め、そのまま受け入れることで、目の前の苦しみや悩みも自ずと消えていってしまうというのです。

よく観るのです。形あるものは無数のつながりに他ならず、無数のつながりは形 あるものに他ならないのです。形あるものはそのまま無数のつながりであり、無数のつながりはそのまま形あるものなのです。同じく、感じること、思い浮かべること、形作ること、見分けることもまた、無数のつながりの上に機能しているのです。

もっともっと深く観てごらんなさい。ものごとの本来の姿は、変化し続ける無数のつながりの上に生じ、実体がないので、生じること滅すること(有無)、汚れること清まること(善悪)、増えること減ること(分別)にもとらわれる必要はないのです。ということは、ものごとを感知する眼・耳・鼻・舌・身体・心の善し悪し にも、その対象である形・音・香り・味・触れられるもの・考えられることの善し悪しにも、そしてそれらによって感知された世界の善し悪しにもとらわれる必要はないのです。その上、迷うこと、迷いが消えることにも、また老いて死ぬこと、老いて死ぬことが尽きることにも、また悩みや理由、解決、手段にも、さらには結果や損得にもとらわれる必要はなく、そのまま受け入れればよいのです。

だからこそ本当の自分でありたいと思う者は、ものごとの本来の姿を見極め、受け入れる力の体得(般若波羅蜜多)により、心に理想と本来の隔たりがなくなり、 隔たりがないからこそ、心の悩み、恐れや不安もなくなっていくのです。つまり理想という妄想から遠く離れることで、無数のつながりにより生じている本来の自分の姿が浮かび上がり、それを見極め、そのまま受け入れ、本当の自分として素直にいることができるのです。

過去・現在・未来の仏様も、般若波羅蜜多により、あらゆるものごとの「本来の姿」は、絶えず変化し続ける無数無量の条件やつながりの上に生じるという「縁起の道理」と、故に実体と呼べるものは何一つないという「空の教え」を得るのです。

故に知るべし。般若波羅蜜多とは、尊い力をもった道、尊い確かな道であり、この上のない道、比べるもののない道なのです。だからこそ、一切の苦しみは除かれる、偽りのない道なのです。ここで般若波羅蜜多という言葉を説きたもう。

見極め、受け入れんとする者よ、見極め、受け入れんとする者よ、本来の自分を見極め、受け入れんとする者よ、本来の自分を素直に見極め、受け入れんとする者よ、おまえさんの無数無限のつながりに幸あれ。 般若心経。