普門軒の「禅の学校」

普門軒のブログ:毎週月・金に授業更新

信心銘の話〈その12〉

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本性のままで大道と一致し、ゆらりゆらりとのんびり歩いて何の悩みもなくなる。心を一つの対象にくくりつけると真理にはぐれ、心が沈みこんで自由を得ぬ。自由を得ぬから精神をすり減らすのである。どうして道に遠ざかったり、近づいたりする必要があろうか。同じ一つの乗り物を手に入れたいと思うなら、六官の対象に逆らってはいけない。

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信心銘の話〈その11〉

f:id:fumonken:20200228062648j:plain大道はそれ自体が広々としていて、歩きやすいとか歩きにくいとか言うことがない。考えの小さい人は小さいことを心配して、道を急げば急ぐほど、いよいよ道が遠くなる。物にとらわれると尺度を失い、きっと間違った道に入り込むものだ。手を離せば、元々自然で、道そのものは行くこともとどまることもない。

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信心銘の話〈その10〉

f:id:fumonken:20200119071909j:plain主観は客体が消えるとともに消え、客体は主幹が亡くなるのに伴ってなくなる。客体は主観に対して客体であり、主観は客体に対して主観である。両者の区別を知りたければ、もともと同一の空だと知れ。同一の空がそのまま二つの部分と変わらず、あまねく無数のすがたを包んでいる。精緻と粗雑の差もないのに、どうして一方だけの片よりが認められようか。

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信心銘の話〈その8〉

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根本にたちもどると秘密が手に入るが、映されたものを追うならば大本を見失う。ほんのしばらくでも、こちらの方が映されたものを押し返させば、眼前の空虚な世界の上にでてしまう。眼前の空虚な世界がくるくる変わるのは、すべて迷いのせいだ。心理を探すには及ばない。ただ君の考えをストップさせればよろしい。相対の考えに腰を据えてはならぬ。ゆめゆめそんなものを追い求めてるではないぞ。よしあしが現れたとたん、入り乱れて本心を見失うのだ。

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信心銘の話〈その7〉

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一つのところに達しなければ、両方とも失敗だ。 有るものを払いのけると何にもなくなってしまい、空についてゆけば空を見失う。 説明が多く分別が多いほど、いよいよ事実にぴったりしない。 言葉を断ち分別を尽くせば、どこも普遍妥当せざるはない。

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信心銘の話〈その6〉

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一つのものとして心が落ち着くと、あとかたもなく自然に何もなくなってしまう。心が騒ぐといって静止させることになれば、静止させるほどますます心は騒ぐ。動と静の両端にかかわりあうだけのことであり、どうして一つのところがわかろうか。

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